diary 2002.11 ■2002.11.21 木 (今日から冬) 目醒めると、雪景色だった。夜中の間に音もなく降り続いた雪が、10センチほど積もっていた。昨日の夜の時点では積もっている雪はなかったのだから、今日を今年の冬の始まり、とする。 ここの文章も、今日から突然書き始める。理由はまぁ、気分的なものだけど、夏の終わりにひとつの文章を書き終えたのだから、秋を挟んで、この冬の始まりの日に新しいものを書き始めるのは、いい出だしかも知れない。 夏に始めたものと、冬に始めたもの。どちらが長続きするのだろう。 恋なら、冬に始まったものの方が、長続きするような気がする。夏に始まった恋は、夏の終わりと共に去ってしまうような、そんな気がする。何故だろう。暑い夏に出会ったそれは夏の終わりと共に冷めてゆくけれど、冬に出会ったそれは暖かいもの、だからなのだろうか。 とにかく、今年の札幌は今日が冬の始まり。ここも、今日が始まりの日。 続けられる限り、続けてみよう。 ■2002.11.22 金 また夜の間に雪が少し積もる。昼間は穏やかだったが、結構な冷え込み。 夜になって、この街でタクシードライバーをしている友人から電話。明日皆で鍋やるけれど、来ない? というもの。場所は千歳。ああ、いいよ。でも最初の冬道は怖いから、運転はプロに頼むわ。という事で即決。 夜の11時を廻り、ここを書いている。まだ2日目。これからここが習慣付けばいい。 インターネット上の日記は大抵、新しい日付のものほど上に来る、そういう並びになっている。インターネット上のレンタル日記を借りて、以前しばらく書いていたけれど、その並び方にだけはずっと、馴染めずにいた。 よく、自分が過去に書いたものを読み返す。他人が書いたものでも、ふと気に留まる日記があったら、ずっと遡った日付から読み始めることもある。そうして過去から読み返す時。一番下からスクロールさせなければならないそうしたレイアウトの、何と読みにくいことか。 常に新しいものを誰かに読んでもらうためなら、そのレイアウトの方がいいだろう。ただ、ここに書いているものは必ずしも、そういうスタンスではない。日記は自分のために書くものだ。過去に自分が書いた文章を読み返している、将来の自分のために読みやすいレイアウトにしよう。 ここは上から下へと順に書いてゆく事に、決定。 ■2002.11.23 土 〜 2002.11.24 日 昨夜そのタクシードライバーと千歳へ行き、そこの友人宅で鍋。到着次第、家主と併せ3人で買出しへ。思い付いたものは何でも籠に突っ込む。長葱、白菜、豆腐、エノキ、エリンギ、舞茸。豚肩切り落とし、豚バラ、豚と牛のモツ、ムール貝、エビ、タチ(鱈の白子)、豆腐、玉うどん。そして、味噌キムチ味のスープの素。 買出しを終えて準備していると、後から2人が合流し、総勢5人となる。後からきた2人は日本海からの釣り帰りで、獲物のホッケとカジカを持参。これもその場で裁いて鍋へ。2LDKに男5人の鍋は、殆ど闇鍋となる。量も物凄かったのだが、完食。値段も1人千円少々だったので、この面子での忘年会もこれで行くことに。 そういえば、闇鍋で思い出した。学生の時に闇鍋を何回かした事がある。まぁ喰えないものは入れないという約束だったけれど、納豆だとかトマトや果物が入っていたりしてなかなか楽しかった。 そんな中、今でも強烈に印象に残っている最強の具材がある。 それは『鰐』だ。ワニ。ワニ皮のベルトや財布ではなく、ワニの姿形のままの、ワニ。 何でそんなものが入っていたか。簡単に書くと、その時のメンバーの1人が闇鍋の前に、学校の研修旅行で中国へ行っていた。で、現地でお土産に「仔ワニ」をそのまま瓶に入れてアルコールに漬けた「ワニ酒」を買ってきていた。そして、その中身の「ワニ」を取り出して、鍋の中へ、と。 そのままの形で鍋から取り出された時のインパクトはともかく、アルコール漬けにされていたワニ自体はあまり美味しくなかったっけ。 土曜はそのままその家に泊まり、日付が変わってから1人が抜け、4人で道南方面へと流す。こちら方面には詳しい面々なので、暇はしない。札幌はもう雪が積もって凍結路面だが、道南にはまだ雪はない。冬の訪れが一ヶ月ほど違うので、まだ快適ドライブ。走行距離は400キロ近くになったが、皆ドライバーなので楽。 ただ、帰りに自分が運転している時、高速道路のインターチェンジで間違って「ETC専用」のレーンに入りそうになる。あれは何なのだろう。そこを通り抜けている車なんて、見た事がない。それなのに、既存のレーンをひとつ潰してわざわざ設けて。今の段階ではまだ、インターチェンジでの渋滞に輪をかけているとしか思えない。渋滞解消のために設けられているはずなのだが。と八つ当たり。 千歳で別れて、タクシードライバーを家まで送って、10時過ぎに帰宅。不在中雪は降らなかったようなので安心する。シャワーを浴びて、今、教育テレビでやっている古い映画「ナバロンの要塞」を見ながらここを書いている。そんな休日だった。 ■2002.11.25 月 職場からの帰り道。遠くのビルの間から顔を覗かせている大通公園のテレビ塔が、ライトアップされて街中に燈っているのを見つけた。大通りもイルミネーションの季節を迎えたようだ。全国どこの大都市でも、この時期はこうした大掛かりな光のイベントが行われているのだろうけれど、やっぱりこの街のこの時期のそれは、他の街のものとは一味違うのだと思う。何といっても「ホワイトイルミネーション」なのだ。雪の白を背景に燈る、様々な色の光。その光に彩られながら人混みの中を舞い降りる、様々な色の雪。 今、職場で禁煙をしている。職場が禁煙なのではない。仕事時間の間は、煙草を吸わないようにしている。理由は特に無い。強いて言えば喫煙スペースが窮屈な上、冬は寒過ぎることくらいか。家に帰って独りの時は相変わらずだが、一日の本数はかなり減った。ただし、これまで喫煙スペースで行われていたコミュニケーションからも離れ、そういうところでしか交わされないある種の「会話」からも、遠ざかったような気がする。 禁煙という言葉はあまり意識しないが、もし煙草を吸わなくなったら。元々酒は飲まない人間なので、酒も煙草もやらない健全な人物となる。「酒も煙草も恋もせず、100まで生きた馬鹿がいる」という誰かの言葉がある。恋もしていない。100まで生きるかどうかは知らないが、そうしたら馬鹿の素質ありということになるか。でも、どうして酒と煙草と恋が、ここでは同列に扱われているのだろう。 そういえば、そろそろあちこちで酒宴の席が設けられる時期だ。忘年会。嫌という訳ではないのだが、会費の殆どが酒代で、酒を飲まない人間にとっては馬鹿らしくなる季節。家系を見るとアルコールには強いのに、飲まなくなったのは何故だろう。ふと思う。思い返すと親元を離れたばかりの10代末から20歳にかけて、そういう味を覚えてゆく時期。そもそもビールの味も炭酸も嫌いだったので、嫌いなものは嫌い、と口を付けなかったのだ。ある人が言う。「飲めない飲めないと言っていても、飲まされているうちに飲めるようになるもんだよ」と。でも、そうはならなかった。無理矢理飲ませようとする輩も、いるにはいた。けれどそういう時。その場が喧嘩になっても決して飲まなかったのだ。そういえばその頃の宴会に、あまりいい思い出はない。 逆に、人から「飲め飲め」と勧められなければ、ひょっとしたら興味本位で飲むようになっていたのかも知れない。煙草を吸い始めたのは、煙草を吸う事が禁じられていた頃のことだった。 何かを始める切欠、始めない切欠なんてそんなもの、なのかも知れない。 ■2002.11.26 火 降り続く雨が、先週降り積もった雪を融かし続けていた。単日出張だった今日は、殆どが外の現場での作業となる。この時期の冷たい雨は厄介だ。寒いとはいえ、雪の方がまだいい。雪は払う事ができる。雨は染み込んでくる。 職場に、雨降りの中を歩いてくると、必ずズボンの裾を「つっぱね」でグショグショに濡らしてしまう人物がいる。本人も理由が判らなく、いつも嘆いていたし、なんでアナタだけいつも、と、皆感心すらしていたのだけど、今日。その人物の後ろを歩いていて、異常に濡れるズボンの裾の理由に気付いた。それは、一歩を踏み出す度に、持ち上がる靴の踵から水滴が撥ね上がる、のではなかった。原因は、歩く時の「ガニマタ」だった。後ろで持ち上げた足を前に持ってくる際、極端に内側に向けられた靴の踵が、隣の足のズボンの裾を擦っていたのだ。 発見した原因を指摘する。でも、当人は腑に落ちない様子。当然だ。普段は無意識の内に、自然に行っている歩行という行為。長年続けてきたそれを突然「変だ」と言われても、本人にとってはそれが当然の歩き方なのだ。すぐに納得できる筈がない。そういうものは、他人の眼を借りないと見ることができないものだ。 なので、その人物の前でその歩き方を実践。勿論、その動作にはかなりの誇張を含む。本人も納得し、矯正開始。その後はずっとギクシャクギクシャクと歩き続けていた。本人には悪いが、意識された歩き方。それはどうして可笑しく見えてしまうのだろう。 仕事帰りにも雨は降り続いていた。帰り道には、殆ど雪は残っていなかった。 ■2002.11.27 水 今日もまた単日出張。現場作業となる。本来ならネクタイ締めての事務職で採用されているはずなのだが、人手不足の折りこうして現場で使い回される事も多い。事務所にずっと詰めているよりは身体を動かしていたいので、実はこちらの仕事の方が好きだったりもする。ただし、事務所に戻ると机の上は言伝のメモや書類の山。月末。本当なら外を飛び回っている暇は無い。人手が足りない現場にこちらは手助けに行けるが、こちらの手助けは誰もしてくれないのだ。 新しいホームページの仮運用を始めている。文章だけのちんまりとしたものだ。内容はこの日々の日記と、たまに書かれる物語。前に書いていた文章は日記やらエッセイやら物語やらがごちゃ混ぜになっていたので、日記や随筆的なものと物語的なものは、はっきりと分ける事にした。レイアウトもできるだけ簡素にする。ダイヤルアップの自分の環境には、そちらの方が合っている。 また、今回借りたスペースには、広告の表示義務が無い。これまで色々なところでレンタル掲示板や日記等を借りてきたけれど、無料のそれらには常にバナー広告が表示されていた。無料の対価として広告が表示される仕組みに、勿論抵抗は無い。けれど、やっていてふと感じたのは、ユーザーは自分のページに表示される広告の中身を選べない、という疑問というか不満。そういったシステムでは、その宣伝には手を貸したくない、という業種の広告が自分のページに載ってしまう事もあるのだ。ホームページに載せている文章の中で、例えば「出会い系サイト」を否定しながら、「出会いのチャンスが云々…」というバナー広告がその最上段で点滅していたりする。そういう例も、決して少なくは無い。 自分の家の壁に貼られる広告の中身には、もっと眼を向ける必要があると思う。 ■2002.11.28 木 (母親の誕生日) 朝は風が強かった。時折突風が吹きぬける通勤路で、帽子を飛ばされている人を散見した。 久々の事務所勤務。今日と明日で、今月の〆と来月の準備、両方を片付ける事になる。来月は頭から3日間の泊りがけ出張が控えているので、あまり間はない。でも、この職場に転勤してからもう20回目の月末なので、まぁ、問題なく乗り切れるだろう。仕事は軌道に乗って、安定している。今が成熟期といえるだろう。でも、恐らく円熟期を迎える前に、この職場を離れる事になるのだろうが。 職場にいる体重85kgの人物が、今日体脂肪を計ってみると40パーセントだった、と嘆いていた。外見からはそうは見えないのだけど、これが体内脂肪というやつか。その後話はこちらに向けられる。どうして太らないの? こちらの体重は現在58kg。身長は175cmだから、細身だ。だから、割と体力勝負のこの職場では華奢に見られる事が多い。気が付くとこちらとその人物とを対比して、周りで何だかんだと話が始まっている。酒を飲まないから太らない、だとか、このまま禁煙したら太るんじゃないの、だとか。そんな中、ある1人が言う。「痩せているように見えて、実は隠れ肥満だったりして」 ふふ。それは無い。体脂肪を計って見せる。数値は12パーセント。身体に付いている脂肪の重量は6.5kgとデジタル数字で表示される。ただ細いのでは無い。日々、ちゃんと絞っているのだぞ。 …まてよ。85kgの人物が40パーセント。付いている脂肪の重量は34kg。85−34=51kg。 で、こちらの体重58kgから脂肪の6.5kgを引くと、51.5kg。付いている脂肪の量を除けば、こちらの方が体重が上じゃないか。 こちらが10キロの米袋を、普段から2袋以上背負って歩いているようなものだ。実は隠れ痩せ? その結果にその人物はかなりショックを受けた様子。今日から肉類と酒は控える、と言う。でも、止めると太るから、煙草は止めないのだそうだ。 そういえばこちらの職場での禁煙は、まだ続いている。意外となんともないものだ。 ■2002.11.29 金 どうやら無事に今月を乗り切った。仕事の上では、の話だが。平日の日記はどうしても職場での話が中心になってしまうけれど、どこに所属していて、どのような職業に就いていて、どのような仕事をしているのか。それをここで具体的に書くことはないだろう。これまでも、そうしてきた。その日何をしたのか、という細かい記録は、自分にとって大きな意味は無い。日々自分が何をして暮らしているかは、自分が一番良く知っている事だ。改めて書き留める、その必要も無いほどに。読み返して面白いのは、その日その日、何を感じて生きていたのか、だ。そういうものはすぐに消え去ってしまって、なかなか後には残らない。ここは日々の雑感が多くを占め、その中に時々、日常の記録が混じるような、そんな形になるだろう。 トップページに2編の物語をリンクする。物語というのだろうか。短編と呼ぶのだろうか。まぁ、どちらでもいい。何かの折に、ふとああいったストーリーを思い付く。そのようなものを言葉に紡いで、たまにあの場に載せていこうと思う。長いものや構成が複雑なものは手に余るので、載せられるのはあの程度のものだ。自分の掌に収まるサイズ。それを掌編と呼ぶのだろうか。 さて。明日は休みだし、少し夜更かしする積りで、また何か書いてみよう。 何故書くのか。こういうことが結構、好きだからだ。 |